2012年3月31日土曜日

若者たちとの集会


孤児院のある村の若者たちを対象に近くのNPOの集会場を借りて、若者の集いが持たれました。今回の伝道チームの一人である高校生が、ギターを弾き、キャロルトンの第一教会の音楽担当者が讃美をリードして、非常に良い集会を持つことが出来ました。



若い時にこうした伝道活動に参加することは、必ずその子の未来
に霊の遺産を残すものです。この高校生にとっても、きっと忘れられない思い出になったであろうと思います。


どちらかというと女子の方が元気がある若者たちですが、それはどこの国でも同じかもしれません。みんな信仰を一生懸命に生きていました、そして、この村のクリスチャンたちは、讃美をよくします。みんな喜んで賛美をします。






もろもろの国よ、主をほめたたえよ。
もろもろの民よ、主をたたえまつれ。
われらに賜わるそのいつくしみは大きいからである。
主のまことはとこしえに絶えることがない。
主をほめたたえよ。  詩篇117篇

2012年3月30日金曜日

孤児院の子供たち

現在、この孤児院には30名近い子供たちが生活しています。今回送られた制服を着て、看板の前で記念写真を撮りました。さまざまな境遇の中からやってきた子供たちです。ここに来る前は笑うことを知らない子供たちもいました。しかし、こうした子供たちもこの孤児院に生活するようになり、神様の愛に心を開き、今ではみんな元気に大きな声で賛美をします。



記念写真を撮った後に、子供たちひとりひとりにアメリカから持って行った歯ブラシと歯磨きチューブをあげました。みんなうれしそうに受け取っていました。アメリカでは、こんな物と思えるようなものでも、実は向こうでは貴重なものなのです。こうした孤児院への援助は、決して特別なものではなく、わたしたちの日常生活の中から少しづつでも貯めておくことで、十分ここの子供たちに笑顔を与えることが出来るのです。

この孤児院は、とくに他の団体が援助している訳ではなく、その運営は厳しいものがあります。こどもたちの生活費、それに教師たちに支払う給料もままならないのが現状です。

地域の子供たちを受け入れクラスを持っていますが、地域から来る子供たちの親も生活に余裕がある訳ではないので、毎月きちんと月謝を払うことが出来ない。そんなことから、教師への給料が払えないこともしばしばあるということです。

子供一人の生活にかかるお金が月40ドル、そして、教師一人に対する給料支援は、月80ドルです。

何とかこれからも援助をしていきたいと願い祈っています。みなさんも一緒にこのこどもたちに笑顔を与えるために、また、イエス・キリストの愛に触れ、永遠の希望に生きることが出来るように、協力をしては頂けないでしょうか。、

2012年3月29日木曜日

歓迎会

火曜日の午後にアメリカからのチームの歓迎会がもたれました。庭にテントを張り、その中での歓迎会でした。そこには、孤児院の子供たち、それに地域の村から学びのために通っている子供たちがいました。それい先生たち、更には地域の大人たちもみんな集まって来ていました。

孤児院のこどもたちは、今回、アメリカからの送りものの一つである制服を付け、きれいなソックスときれいな靴を履いて席の前列に座っていました。みんなうれしそうでした。嬉しそうに座っている子供たちの顔を見て、こちらもうれしくなりました。こどもたちは、 集会が始まると、みんな大きな声で賛美を捧げていました。



プログラムは、子供たちによる出し物、大きなお兄さんお姉さんた
ちは、民族衣装を着けて、伝統の踊りを披露してくれました。小道具は、自分たちで作ったようでした。



青年たちは、ゴスペルミュージックに振付を入れて踊っていました。

ちいさな子供たちは、各部族の衣装を付けてファッションショーをして一人ひとり前に出てきてポーズをきめていました。

 
集会の中で、今回の記念として土地の柄の付いてチョッキを頂きました。この時はちょっと前のボタンを留めるのが苦しかったですが、今は、楽に入るようになりました。

それでもわたしがチョッキを着ると後ろの方から大きな歓声が上がりました。何事かと思ったら、わたしがチェッキを付けた姿が、まるでナガ族の人のようだったからだそうです。確かに、この地域の人は、東洋人とあまり変わらない顔つきをしています。この顔が、あるいは土地の人にとって更に親しみ感じてもらえた理由の一つであったのもしれません。


わたしは、今回の歓迎会の中で、あいさつと短いメッセージ、それに子供たちのために特別な祈りの時間を持たせて頂きました。


そこで、イエスはすわって十二弟子を呼び、そして言われた、「だれでも一ばん先になろうと思うならば、一ばんあとになり、みんなに仕える者とならねばならない」。そして、ひとりの幼な子をとりあげて、彼らのまん中に立たせ、それを抱いて言われた。「だれでも、このような幼な子のひとりを、わたしの名のゆえに受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。そして、わたしを受けいれる者は、わたしを受けいれるのではなく、わたしをおつかわしになったかたを受けいれるのである」。                   マルコ9章35-37節


最後に先生たちが一緒に写真を撮りたい(これもナガ族に似ていたからでしょうか?)ということで、教師の方々と一緒に記念写真を撮りました。この先生たちは、ヒンズー教の方々です。話を聞くと、教育はヒンズーの方々がすぐれているのだそうです。しかし、こうしてクリスチャンの運営する孤児院で喜んで働いて下さっているのですから、あるいは、この中から新たなクリスチャンが生まれる可能性もある訳です。そのためにお祈りしていきたいと思います。



2012年3月28日水曜日

部族の酋長



この孤児院の存在は、地域の人々に歓迎されています。地域にはいくつもの部族が存在していますが、今回、その中のある部族の酋長が二人、自分たちの民族衣装を見て欲しいと、わざわざ来てくださいました。彼らは、わたしたちの訪問を大いに喜んで下さり、この様なかたちでわたしたちを歓迎して下さったのでした。



孤児院の周りにはたくさんのクリスチャンが生活しています。今回の部族の酋長たちも実はクリスチャンであります。近くには、日曜日の午後にメッセージした教会がありますが、そこは仮の住まいで、今丘の上に遠くから一目でわかるような立派な教会が建築中であります。

自分たちはどんなに貧しくとも、教会のためには必死になって捧げるこの地のクリスチャンの姿勢には教えられます。彼らの住居を見たら、教会ばかりがこんなに立派でよいのだろうかと、思うのではないでしょうか。しかし、彼らの生活の喜びも未来に対する希望も、すべてが教会を中心にして存在していることを彼らは理解しています。その神の家である教会こそ、まず、第一に完成させなければならないものなのです。



孤児院開設

Shonnai Saka牧師、妻Ngamshuishel
多くの見捨てられた子供たちの安息の地として、長い祈りの後に、Kapaar Kachoung Orphanageは創立されました。

創立者であるShonnai Saka牧師は、貧しい牧師の子供として生まれましたが、若い時は道を外れ、薬物、お酒、ギャングとどん底の人生を生きてきました。しかし、ある時、事故に遭い、担ぎ込まれた病院で、彼は、イエス・キリストとの出会いを体験し、その後の人生を献身者として歩むようになりました。

また、妻のNgamshuishel夫人は、自らが孤児として育ち苦労の人生を歩んできました。そうした彼女は、同じような孤児のために何かをしたいと願ってきました。

二人が結婚して後、こうした二人の気持ちは一つとなり、何とか世の中に見捨てられたような子供たちを救うためにと施設へ向かって長い祈りと断食の生活が始まりました。そして、2004年3月、今の孤児院を創立するに至りました。何もない中からの出発でした。

Manipur州にあるChandel地区には、公共の孤児院は一軒だけ、そこは25人の収容能力しかなく、それ以外には、この孤児院しか存在しません。それでも、こうした施設を開設するには、国の認定が必要であり、この孤児院には、理事もおり、きちんとして組織として運営されています。ただし、個人経営であるので、経済的にはまったく余裕がなく、今回、テキサスからの献金と検品によっていくつかの必要が備えられるようになったばかりです。



牧師夫妻と理事たち
わたしたちは、まず、この孤児院の理事と会合を持ち、この施設の設立に至る経緯、教育理念、また、存在の重要性などについて直接伺う時間が与えられました。これから、引き続きこの施設を援助するにしても、きちんと個人のことを知ることが大切であり、そのためにこの様な時間を持って下さった訳です。

この写真に写っている以外にも理事はいるようですが、英語が分からないとのことで今回は、出席されませんでした。



もし人が信心深い者だと自任しながら、舌を制することをせず、自分の心を欺いているならば、その人の信心はむなしいものである。父なる神のみまえに清く汚れのない信心とは、困っている孤児や、やもめを見舞い、自らは世の汚れに染まずに、身を清く保つことにほかならない。 

ヤコブ1章26~27節

2012年3月27日火曜日

長閑な田園風景

孤児院へ続く道には、遠くの山を背景に田園風景が広がり、そこに働く人々の姿を見つけました。彼らの働きは、すべてが手作業で、わたしの見た限りでは農作機はどこにもありませんでした。あんなに広い土地を手作業だけでするのは、大変だなと思いましたが、こうしてみんな一生懸命に働いているのでしょう。

岡山の津山に行った時のことを思い出しました。そこには荒れ果てた畑があちらこちらにありました。若い人たちは町に出ていき、高齢になった人たちは、自分たちの土地を耕すこともできない、こうして豊かな農地がどんどん雑草の生い茂る荒地に変わってしまいます。土地の人はこれでは、土地が駄目になると案じていました。しかし、ここには働く人の姿がありました。

モアブの女ルツはナオミに言った、「どうぞ、わたしを畑に行かせてください。だれか親切な人が見当るならば、わたしはその方のあとについて落ち穂を拾います」。ナオミが彼女に「娘よ、行きなさい」と言ったので、ルツは行って、刈る人たちのあとに従い、畑で落ち穂を拾った。 ルツ2章1~3節





途中、町に入ると、朝の通勤ラッシュ、車は渋滞して動かない、それでも牛は、マイペース。ここは橋の工事で片面一車線、警察が朝からメガホンを使って車を誘導しています。何を言っているのかと尋ねると、“前の車早くいきなさい”とか“もっとスポード上げろ”とか言っているらしいです。
信号を設置すれば良いと思うのですが、誰も従わないということで、結局、権力の力で整理する必要があるらしいです。






車窓から見た朝の様々な風景を紹介しましょう。

毎朝、こうした風景を眺めながら孤児院へ向かいます。


客待ちのお店

お店はオープンし、お店の前はきれいに掃除がなされ、お客さんはの来られるのを待っています。



お店を横目に職場へ急ぐ女性たち












村の入り口で車を待つ二人
村の入り口からは、若い姉妹でしょうか、袋を二人で持って出てきました。彼女たちは、オートと呼ばれる乗合三輪自動車を待っている様子でした。





町に入ると、人々が忙しくしている姿が目に入りました。







ガソリンステーション
ガソリンステーションで、順番を待つ車が並んでいます。。


 スクーターに三人乗りは、当たり前、これはタイやラオス、また、ベトナムでも同じです。この辺りは、昼は暖かですが、朝は、肌寒さを感じます。ですから、このスクーターを運転している男性も暖かい服装を着ているのでしょう。









 自転車に乗って出かける婦人たちに出会いました。子供を後ろに乗せて走っているお母さんの姿も見受けました。






ここは小学校、道を横切って別の校舎に向かう子供たちに出会いました。この学校にはEnglish Schoolと書かれていました。英語を学ぶ学校なのでしょうか。とこ時、この様に書かれた学校を目にします。いかに英語教育が盛んであるかを示しているのかもしれません。




溜め池に集まって





(左の写真) 家の前にある池で洗濯をしたり沐浴をしたりしている人々がいました。こうした溜め池は彼らにとって大切な生活資源なのです。




井戸のある生活






(右の写真) この村には汲み出し式の井戸がありますが、村の人たちが朝の準備のために出てきて、井戸の周りで仕事しているのがわかります。





2012年3月26日月曜日

町の中で自由気ままな動物たち

Imphalの町だけの事ではありませんが、インドでは、多くの方が既にご存知のように、町のいたる所で牛を見かけます。彼らは、道路を好き勝手に往来します。その牛の故に交通渋滞になることもしばしばあるそうです。それでも、ヒンズー教では、牛は神から送られた動物ですから決して殺傷しません。ですから、彼らには危機感というものがないのです。その動作もゆっくりしていて、周りの事に気持ちを乱されることもないようです。絶えず車のクラクションの音が鳴り響いていますが、それでも驚いた様子をみせることはありません。


中には中央分離帯を陣取り、ゆっくりと休んでいる牛や馬などもいました。そこは一応主要道路であり車はそれなりのスピードを出して走りますが、それでもまったくわれ関せずといった動物たちでした。これが本当の安心というのか、自分たちの命が守られていることをこの動物たちは理解しているのではないかと思いました。同じ様に、さまざまな危険に晒された世界に住んでいるわたしたちに対して、神は、“わたしはあなたを見捨てず、いつも共にいる”と言って下さっています。しかし、その神の声をわたしたは理解しているのでしょうか。本当にその言葉に信頼して生活しているのでしょうか。神が共にいて、あらゆる悪しき力からわたしたちを守って下さることを信じて生きることが出来たら、日々の不安はあるいは解消されるのではないでしょうか。そのためには、まず、神が守って下さっていることをわたしたち自身が知ること、受け入れることが大事なのではないでしょうか。

恐れてはならない、わたしはあなたと共にいる。驚いてはならない、わたしはあなたの神である。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わが勝利の右の手をもって、あなたをささえる。                  イザヤ41章10節


豚肉販売所
しかし、向こうのクリスチャンに尋ねたところ、彼らは関係なく牛肉を食べると話してくれました。そんなわたしたちに或る晩御飯に牛肉が出されました。

町を車で走っていて、一軒の肉屋を見つけました。それはわたしたちが思うようなお店ではありませんが。しかし、確かに肉は売られていました。でもそれは豚肉でした。大きな町の中では、鶏が籠の中に入れられて店頭で売られているのを発見しました。ただ、牛肉を公に売っている店を見つけることは出来ませんでした。



町にいる動物は牛だけではありません。サルもヤギもどんな動物も自由気ままに自分たちのねぐらを求めてうろついています。ある寺院の入り口に行った時、そこにたくさんのサルたちが群れをなしているのを発見しました。彼らはそこをねぐらにしているのです。


New Delhiの町では、人々が行き交う往来で犬が微動だにせずに、歩道の上で休んでいるのを見つけました。まるで忙しく行き交う人間に、そんなに急いでどこへ行く、と尋ねているようでした。わたしたちは、豊かな生活を求めてあくせくとした生活を送っています。でも、時にはこの犬のように周りの煩わしさから解放されて、静かに体と心を休めて、神に守られている自分を再確認する必要があるのではないでしょうか。その時、忙しいさに忙殺されることなく、自分の魂に平安を見出すことが出来るのではないでしょうか。


“世の中は騒がしいな”

              静まって、わたしこそ神であることを知れ。  詩篇 46篇10

Imphalにある教会

礼拝堂
この3階に教会がある
Imphalの町に通訳をして下さった婦人の教会があるというので、その教会を訪問し、牧師と青年リーダーや音楽リーダーをされている方々とお会いすることにしました。ここは、ビルの3階にあり、立地条件としては決して恵まれている訳ではありません。しかし、現在、この教会には毎週50名ほどの人たちが集い礼拝が守られています。小さな部屋に日曜日には、椅子を並べ、ドラムなども取り入れ元気に賛美し、喜びを持って礼拝を捧げているということです。

この教会のもう一つの大きな悪条件とは、あるいは福音のためには好条件というべきなのでしょうか、それはビルの周りが、最初の頃に書いた売春宿などが多く存在している地域であるということです。教会を訪問した後にその地域にみんなで立ち寄り、昼間からお酒に酔った人たちがたむろしている状況をこの目で見てきました。わたしたちがいる間に、売春をされている女性も出てきて、一緒に写真を撮るなどをしましたが、彼女にとってしていることがどんなに恥ずかしいことであったとしても、これが彼女にとっての唯一生きる道であり、生活の糧なのです。このような人たちに福音が届くには、まだまだ時間がかかるでしょう。しかし、こうした地域の中心に教会があることは、闇の中に光のような思いがしました。そして、ここにも希望があることを覚えさせられました。

イエスは言われた、「よく聞きなさい。取税人や遊女は、あなたがたより先に神の国にはいる。とおいうのは、ヨハネがあなたがたのところにきて、義の道を説いたのに、あなたがたは彼を信じなかった。ところが、取税人や遊女は彼を信じた。あなたがたはそれを見たのに、あとになっても、心をいれ変えて彼を信じようとしなかった。                マタイ21章31-32節


売春宿
そこにある建物は、外から見るなら、まるで廃墟です。地域に建つ多くの建物も上から見るとブリキ屋根には錆が付き、生活状況が伺われます。近代風の大きなビルが立ち並ぶNew Delhiとは異なり、この町はこうした貧しさが町の隅々まで広がっています。そして、この様な町にも福音が語られる必要があることを思い知らされるのです。わたしは、子供の頃にこれに近い状態の家に住んでいました。しかし、それでもここにある家に比べるなら、まるで天国であったと思います。

わたしたちは、この豊かな世界の中で何に不平不満を言っているのでしょうか。衣食住がそれなりに与えられている環境の中で、感謝こそすれ、不平を漏らすなど、こうした社会の中で必死に生きている人々に触れるときに何と贅沢な不満であろうと思うのです。

それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようか、何を飲もうか、自分の命のことで思わずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるのではないか。マタイ6章25節

あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。 マタイ6章32-33節