2012年3月26日月曜日

町の中で自由気ままな動物たち

Imphalの町だけの事ではありませんが、インドでは、多くの方が既にご存知のように、町のいたる所で牛を見かけます。彼らは、道路を好き勝手に往来します。その牛の故に交通渋滞になることもしばしばあるそうです。それでも、ヒンズー教では、牛は神から送られた動物ですから決して殺傷しません。ですから、彼らには危機感というものがないのです。その動作もゆっくりしていて、周りの事に気持ちを乱されることもないようです。絶えず車のクラクションの音が鳴り響いていますが、それでも驚いた様子をみせることはありません。


中には中央分離帯を陣取り、ゆっくりと休んでいる牛や馬などもいました。そこは一応主要道路であり車はそれなりのスピードを出して走りますが、それでもまったくわれ関せずといった動物たちでした。これが本当の安心というのか、自分たちの命が守られていることをこの動物たちは理解しているのではないかと思いました。同じ様に、さまざまな危険に晒された世界に住んでいるわたしたちに対して、神は、“わたしはあなたを見捨てず、いつも共にいる”と言って下さっています。しかし、その神の声をわたしたは理解しているのでしょうか。本当にその言葉に信頼して生活しているのでしょうか。神が共にいて、あらゆる悪しき力からわたしたちを守って下さることを信じて生きることが出来たら、日々の不安はあるいは解消されるのではないでしょうか。そのためには、まず、神が守って下さっていることをわたしたち自身が知ること、受け入れることが大事なのではないでしょうか。

恐れてはならない、わたしはあなたと共にいる。驚いてはならない、わたしはあなたの神である。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わが勝利の右の手をもって、あなたをささえる。                  イザヤ41章10節


豚肉販売所
しかし、向こうのクリスチャンに尋ねたところ、彼らは関係なく牛肉を食べると話してくれました。そんなわたしたちに或る晩御飯に牛肉が出されました。

町を車で走っていて、一軒の肉屋を見つけました。それはわたしたちが思うようなお店ではありませんが。しかし、確かに肉は売られていました。でもそれは豚肉でした。大きな町の中では、鶏が籠の中に入れられて店頭で売られているのを発見しました。ただ、牛肉を公に売っている店を見つけることは出来ませんでした。



町にいる動物は牛だけではありません。サルもヤギもどんな動物も自由気ままに自分たちのねぐらを求めてうろついています。ある寺院の入り口に行った時、そこにたくさんのサルたちが群れをなしているのを発見しました。彼らはそこをねぐらにしているのです。


New Delhiの町では、人々が行き交う往来で犬が微動だにせずに、歩道の上で休んでいるのを見つけました。まるで忙しく行き交う人間に、そんなに急いでどこへ行く、と尋ねているようでした。わたしたちは、豊かな生活を求めてあくせくとした生活を送っています。でも、時にはこの犬のように周りの煩わしさから解放されて、静かに体と心を休めて、神に守られている自分を再確認する必要があるのではないでしょうか。その時、忙しいさに忙殺されることなく、自分の魂に平安を見出すことが出来るのではないでしょうか。


“世の中は騒がしいな”

              静まって、わたしこそ神であることを知れ。  詩篇 46篇10