2012年6月25日月曜日

仙台における被災地の現状

昨年の3月11日から1年と3か月が経とうとしているこの時期、被災地はどうなっているのでしょうか。以前に岩手県の大槌町でのコーヒーショップによるボランティア活動を紹介しましたが、今回は、仙台の被災地の現状を写真で紹介します。



瓦礫は少しは片付けられました。しかし、被害のあった家は、傷跡をそのまま立ち並んでいました。
その前には小さな花が咲いていました。




家の中には、子供さんが野球チームに入っていたのでしょう。写真集も泥まみになった床の上に落ちていました。




高級車が一台、路上に放置されていました。ドアも窓もつぶされ、誰の目にも止まることなく、静かに撤去されるのを待っています。しかし、その日はいつ来るのでしょうか。


                           家を追われ、お店を津波で流された人たちの中には、仮設のショッピングセンターで新たな出発を始めている人たちもいます。わたしは、その中の電気屋さんを訪れました。ご自分のお店は津波で完全に破壊されてしまったお店のご主人が話して下さいました。今の商売では、生計をなすことはできません。ほとんどの商品は、破壊されたお店の中から何とかきれいにすれば売れそうな商品を集めて、お店に並べています。ですから、品目も少なく、生計を立てる程の収入は見込めないということです。しかし、だからと言って何もしないでいる訳にはいかない。とにかく歩み始めなければ、こうしてこの電気屋さんは娘さんと一緒にお店を守っているのです。

また、町の商店街の一角を借りて新たな出発を始められた花屋さんがいました。そこに一匹の猫がいました。この猫は今回の災害を生き抜いた猫だということでした。この猫と元気になろうと必死になって仕事に勤しんでいました。
牡鹿半島には今なお、瓦礫の山があり、その近くの神社は崩壊されたままでした。その社に隣接した丘の上には、美しい花が咲いていました。




子供も先生たちも多くの命が津波に奪われた大川小学校のことを覚えておられる人たちも多いのではないでしょうか。わたしたちは、そこも訪れてきました。しかし、この地の空気は今も重いものがありました。その時の出来事は土地の人々の心に大きな痛みとなって消すことのできない出来事として今も残っているようでした。



 建物を見ると襲った津波の威力の凄さを感じさせられます。





校庭の奥には、子供たちが描いたのでしょうか、世界の子供たちが手をつないでいる絵がありました。

その壁の端には、「雨にも負けず、風にも負けず、と宮沢賢治の詩が書かれていました。

また、「世界が全体に幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない・・・」との宮沢賢治の言葉が記されていました。


 
仙台にある仮設住宅も訪れました。そこでの問題も、他の仮設住宅と一緒で孤独でした。そうならないように、テーブルを用意し、そこにみんなが集まれる場所、交わる場所を備えていきたいと話されていました。









2012年6月18日月曜日

安渡小学校

2012年5月わたしは、千葉にあるバプテスト教会の人たちと一緒に被災地へ向かいました。

最初に向かったのは、岩手県大槌町、その町の安渡小学校の敷地内に仮設住宅があります。


 この学校は、高台にあるため津波を免れることができました。周りには同じように無傷だった家が何件も立ち並んでいます。しかし、遠く海岸線をを見渡せば、今もなお瓦礫が山積みです。いつになったら片付くかもしれない瓦礫の山は、それを見る人々に津波の恐ろしさを思い出させます。


被災地の人の未来はどんなになっていくのか、それは、誰にもわかりません。まだまだ心に痛みを抱え、先が見えないという人が大勢いるのです。


それは、まるで学校の前にあった森の中に続く一本の線路のようです。その先に何があるのかわからない。学校の中に、わたしは、さらに一つの額を見つけました。そこには、「坂道の向こうには希望がある」、と書かれていました。


確かに、今上っている道の向こうに何があるか痛みを持った人には見えません。故に希望が持てないし、諦めたくなることもあるのです。しかし、未来を信じて歩み続ければその坂を上りつめた向こうに大きな希望が見えるはずです。坂の頂上まで彼らを何とか励まして上らせてあげられるなら、ボランティアの働きは意味があるのではないでしょうか。



この世には苦しみや悲しみはいつの時代にもあります。それを避けることは誰にもできません。しかし、苦しみの向こうには、神が供えた新しい希望も必ずあります。その希望に向かって被災地の皆さんに進み続けて欲しいと心から願うものです。

私は、学校の入口近くに、白い花を見つけました。小さな坂の片隅で精一杯に咲き乱れるこの花を見て、人は、さらに大きな美しい花を咲かすことができるはずだと思いました。なぜなら、神がわたしたちを支え、力づけて下さるからです。この大槌の人々にもいつかそんな大きな花を咲かせる時がやってくるでしょう。

主が、彼らの心を慰め、今は苦しいでしょうが、諦めるのではなく、一歩ずつでも良いですから、前に向かって進むことが出来るように働いていくのが、今のわたしたちのようなボランティアのすべきことではないでしょうか。そのために、神はこうした方々のところにわたしたちをお遣わし下さっているのです。物資は多く送られてきます。しかし、今、本当に現地の人たちに必要なのは、傷む心を持つ彼らに寄り添う人々です。古き苦しみを吐き出して、新たな希望を吸い込むことが大切なのではないでしょうか。



一日修養会

2012年5月27-28日にノーステキサス日本語バプテスト教会の一日修養会が持たれました。日曜日の礼拝後、ホテルに移動し、次の日の昼(ホテルのチェックアウトタイム)までの時間を用いて修養会を持ちました。

今回は、出席人数はそんなではありませんでしたが、教会のこれからの歩みをみんなで考え、活発な意見交換の中でいろいろなことが話し合われました。教会のビジョンについてがその内容の中心でしたが、話し合いは、次回の夕拝へと持ち越されることになりました。
一年に一度、教会員が一つ場所に集まって時を過ごすことはそれだけでも意味があります。こうした時間の中で、互いをさらに身近に感じ、心のつながりが強まるものです。時間を共有するなかで人は、心を通わすことができるのではないでしょうか。
さて、わたしたちの一日修養会ですが、ホテルを用いて行います。参加者は、普通の部屋を予約し、牧師がスイートを予約します。そして、話し合いは、そのスイートのリビングエリアを使って行います。リビングエリアがベッドルームと別になっているので、少人数(20人くらいまで)ならこうしたかたちでも充分です。もし、このページを読んでいる方の中に他教会の方がおられるなら、これを一つのヒントにしてご自身の教会でも試してはいかがでしょうか。

2012年6月13日水曜日

小羊園最終日

5月25日は、小羊園とキリスト教入門講座の今学期最後の日でした。お母さんと子どもたちが夏休みを前に楽しい時間を持ち、神さまのことを学びました。

わたしたちは、この日に出席されているお母さんたち、子供たちを金曜家族と呼んで、一緒にこの日を大切に守っています。


出席されている方々の中には、フラワーマウンドやデントンから毎週出席されている方々もいます。こうした方々が喜んで出席くださっているのを見ると、この金曜日の集まりがみなさんに愛されていると知ることができます。



この日に出席した子供たちに、小さなプレゼントが配られました。
みんな嬉しそうに受け取っていました。



お母さんたちの中には最近になって出産された方々もあり、次の学期からはさらに子供たちが増えるであろうことが予測できます。これは嬉しい悲鳴です。これからも更に多くの方々が参加下さるようにと願っています。 

8月6日から10日までの一週間は、教会で夏期学校を行いますが、既に何人もの子供たちが出席手続きをしています。もし、この記事を読んで、わたしも出席したいと思われた方は、是非、教会に連絡して下さい。

平野バプテスト教会

バプテスマを受けて日本へ帰国していったJT君は、これから日本でクリスチャン生活を送るわけですが、クリスチャンにとって礼拝を守れる教会があることはこの後の霊的成長に欠かせません。そんな彼に、家近くにある教会が紹介されました。彼が日本へ戻った日曜日は、わたしも被災地へのボランティア活動で日本に滞在していました。そこで、その日曜日の朝、わたしも東京から新幹線にのり新大阪へ、そこから地下鉄を乗り継いで彼の町まで行きました。しかし、朝10時半の礼拝に間に合うように行くのは難しく、到着した時には、既に礼拝は始まっていました。ドアを開けたところ、そこには日本の小さな玄関がわたしを待ち受けていました。その先に礼拝堂があり礼拝が捧げられていました。
この教会の牧師は、中村尚子氏で、この朝は詩篇の1篇からメッセージがなされました。教会は全体的に若い人が多いようでした。会衆の真ん中の席あたりに目をやると、そこに既にJT君が一人で座っていました。わたしは早速、彼の横に座り彼と一緒に礼拝を守りました。
ダラスではバプテスマを受けただけで主の晩餐に預かれなかった彼ですが、この日が感謝なことにこの教会の主の晩餐式の日で、二人してこの教会で主の晩餐に預かることができました。

 この教会には、彼の通う高校の卒業生などもいたりして、彼も何か親しみを感じたかもしれません。自転車で来れる距離のところにこの教会はあります。中村牧師は、この教会には、他にも若者がいると言われていました。


礼拝後、出席されていた方々と一緒に記念写真を撮らせて頂きました。この教会が彼に供えられた礼拝の場所であるかは、彼自身が決めることですが、今回、このようなかたちで彼と一緒に礼拝を守れたことは感謝でした。



感謝なバプテスマ式

5月27日の礼拝で信仰告白、そして夕方教会員のプール(これはわたしたちの教会がバプテスマ漕の代わりに使わせて頂いている)でバプテスマ式が執り行われました。教会にとってバプテスマ式は何よりも大きな喜びの時ですね。

今回は、交換留学で滞在していたJT君が信仰の決心をし、日本へ戻られる前にと彼も必死に信仰告白を書いていましたが、なかなか出来上がってこない、もう無理かなと思っていたところに彼から信仰告白が送られてきました。彼には、信仰に至る経緯について語りたいことがたくさんあり、それをどのように伝えるかで悩んでいたようです。彼の信仰告白を聞いて会衆の中には涙する者もいました。

バプテスマ式には、クリスチャンでない方も出席され、バプテスマというものがどのようなものなのか興味深く見守っていたようです。これは、素晴らしい出来事です。しかし、わたしたちがしっかり覚えておかなければならないことは、この式が直接その人を救うということではないということです。むしろ、これはイエス・キリストに対する信仰の公な信仰告白であると受け止めて頂いてよいのではないでしょうか。
バプテスマ式が行われる日には、この家のご主人(教会員)のMY氏が、毎回、一生懸命に掃除をしてきれいにして準備してくれています。岩をはめ込んだこのプールは、まるで小さな森の滝壺のようです。プールを掃除するのは大変ですが、MY氏はおひとりでこの奉仕に時間をささげて下さっています。わたしたちはこの奉仕に感謝しています。こうして整えられたプールで式が執り行われました。

この日は、彼の送別会でもありました。クリスチャンになって最初の主の晩餐式を受けることなく帰国していく訳ですが、日本へ帰ってから良い教会が供えられるようにみんなで祈りました。

 
 バプテスマ式の後、日本バプテスト連盟の発行しているバプテスマ手帳がバプテスマ賞と一緒に授与されました。


 
 お祝いのケーキが準備され、まるで結婚式の時のようにケーキカットが持たれました。和やかな雰囲気の中、みんなで彼のバプテスマをお祝いし、喜びを分かち合いました。

 
教会の若者たちは、彼との別れを惜しんでこの最後の交わりの時間を楽しんでいました。これからも更に多くの人がイエス・キリストの愛に捕えられ信仰を持たれバプテスマを受けあたらしくクリスチャンとしての道を歩まれることを心から願ているものです。