2012年3月26日月曜日

Imphalにある教会

礼拝堂
この3階に教会がある
Imphalの町に通訳をして下さった婦人の教会があるというので、その教会を訪問し、牧師と青年リーダーや音楽リーダーをされている方々とお会いすることにしました。ここは、ビルの3階にあり、立地条件としては決して恵まれている訳ではありません。しかし、現在、この教会には毎週50名ほどの人たちが集い礼拝が守られています。小さな部屋に日曜日には、椅子を並べ、ドラムなども取り入れ元気に賛美し、喜びを持って礼拝を捧げているということです。

この教会のもう一つの大きな悪条件とは、あるいは福音のためには好条件というべきなのでしょうか、それはビルの周りが、最初の頃に書いた売春宿などが多く存在している地域であるということです。教会を訪問した後にその地域にみんなで立ち寄り、昼間からお酒に酔った人たちがたむろしている状況をこの目で見てきました。わたしたちがいる間に、売春をされている女性も出てきて、一緒に写真を撮るなどをしましたが、彼女にとってしていることがどんなに恥ずかしいことであったとしても、これが彼女にとっての唯一生きる道であり、生活の糧なのです。このような人たちに福音が届くには、まだまだ時間がかかるでしょう。しかし、こうした地域の中心に教会があることは、闇の中に光のような思いがしました。そして、ここにも希望があることを覚えさせられました。

イエスは言われた、「よく聞きなさい。取税人や遊女は、あなたがたより先に神の国にはいる。とおいうのは、ヨハネがあなたがたのところにきて、義の道を説いたのに、あなたがたは彼を信じなかった。ところが、取税人や遊女は彼を信じた。あなたがたはそれを見たのに、あとになっても、心をいれ変えて彼を信じようとしなかった。                マタイ21章31-32節


売春宿
そこにある建物は、外から見るなら、まるで廃墟です。地域に建つ多くの建物も上から見るとブリキ屋根には錆が付き、生活状況が伺われます。近代風の大きなビルが立ち並ぶNew Delhiとは異なり、この町はこうした貧しさが町の隅々まで広がっています。そして、この様な町にも福音が語られる必要があることを思い知らされるのです。わたしは、子供の頃にこれに近い状態の家に住んでいました。しかし、それでもここにある家に比べるなら、まるで天国であったと思います。

わたしたちは、この豊かな世界の中で何に不平不満を言っているのでしょうか。衣食住がそれなりに与えられている環境の中で、感謝こそすれ、不平を漏らすなど、こうした社会の中で必死に生きている人々に触れるときに何と贅沢な不満であろうと思うのです。

それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようか、何を飲もうか、自分の命のことで思わずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるのではないか。マタイ6章25節

あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。 マタイ6章32-33節