2012年5月9日水曜日

山奥にあるクリスチャンの町


ホテルのあるインパルという町から、再び車に乗って、孤児院へ向かう道を走り始めました。途中の道には、毎朝見る当然の景色の一つであるかのように人々が日向ぼっこをしていました。
ちょうど、買い物に立ち寄ったお店の前にもそんな男性たちがいました。早速、座っている彼らに写真を撮らせてもらえるか尋ねると、 彼らは、快く応じてくれましたので一枚撮らせて頂きました。

途中の道には大きな荷物を積んだトラックがゆっくりと走っていました。その後ろに人が一人いたのですが、彼がトラックの荷を抑えるためにいた人なのか、あるいはたまたまそのトラックの後ろにぶら下がって、どこかへいこうとしていたのかは、わかりませんでした。また、道には、制服を着た子供たちが学校へと出かけるところだったのでしょう、集まっていました。
長閑な風景が続く中、小さな車に揺られながら、わたしたちは孤児院のある町の方向へ向かっていました。ただ、今回は、そこから更に奥地へと進んでいくことになっています。


途中のガソリンスタンドに寄ると、そこには消化砂が備え付けられていました。アメリカや日本なら、油に強い何かそれなりのケミカルを使用した消火器を準備するのでしょうが、ここでは、バケツの中に砂が入ってぶら下がっているだけです。その上にFIREと大きく書かれていました。しかし、出火した時、これだけの砂でどれほどの効果があるのだろうかと思いました。それこそ、想定外だったと言わなければならないのではないでしょうか。


孤児院から幹線道路を外れて山道をさらに奥地に入っていきました。山道には、たくさんの小さな村落が散在しています。しかし、山道は道路の整備がきちんとされておらず、四駆車でないと、なかなかスムーズに走ることが出来ません。その途中の町について尋ねると、村落によっては100%ヒンズーの村があれば、100%クリスチャンの村もあるとのことでした。これがこの地方の現実であり、途中、クリスチャンの学校も目につきました。
 わたしたちは、孤児院から道を外れて大体1時間半くらい車に揺られて山の中へと進んでいったのではないでしょうか。すると、目の前に小さな盆地のような土地に町が姿を現しました。
この町の中に一軒の家があり、そこから一人の姉妹がわたしたちが滞在している間、町に泊り掛けで、面倒を見てくれました。今回は、その方の家を訪問することにしたのです。

 家には、その方のお兄さんご夫婦とお母さんが同居しているということでした。ただ、この家も一階部分はできていましたが、二階は、まだ枠組みだけで、お金ができるの待っているそうです。



 家の入口には、ヨハネ3章16節の言葉が張られていました。イスラエルの家の入口に聖句を入れた箱があるように、紙の端っこが破れて来てはいますが、彼らの家の柱には、そこに来る誰の目にも止まるように聖句が張られているのです。この家を訪れる人は、誰もがこの聖句を読むことでしょう。これも彼らの伝道の方法の一つではないかと関心させられました。
この家には、おばあさんがいますが、その方には祈りのパートナーがいます。二人は、いつも祈りを共にし、また、互いのために祈りを持って支え合っています。今回、わたしたちが訪問した時に、ちょうどその祈りのパートナーであるもう一人の婦人が訪れて来られたので、お二人の信仰に生きる者の幸せな顔を写真に撮らせて頂きました。何とも言えない二人の笑顔に心が洗われるような思いがしました。
絶えず祈と願いをし、どんな時でも御霊によって祈り、そのために目をさましてうむことがなく、すべての聖徒のために祈りつづけなさい。          エペソ6章18節