2012年4月20日金曜日

沖永良部島


今回は、インドの報告は少し中休みにさせて頂いて、日本の旅について少し記させて頂きましょう。日本は、インターネットがどこでも使えそうなのですが、それが意外に不便であることを感じています。ですので、メールが使える時にとにかく一言と思います。

今回の沖永良部島への旅は、小林純郎医師が召天されたことを受けて、文恵夫人にお会いすることが、目的です。東京から沖永良部島へは沖縄経由と鹿児島経由の二種類の方法があります。ただ、鹿児島経由は飛行機ですが片道27000円と高額ですので、今回は、沖縄経由のフェリーで向かうことにしました。沖縄から所要時間7時間の船の旅、船酔いが心配でしたが、その心配もなく旅をすることが出来ました。因みに、フェリーだと2等で5600円です。沖縄に到着してすぐにフェリーという訳にはいかないので、一泊しなければならないのですが、沖縄ポートホテルは埠頭から歩いて10分ほどのところにあり、一泊4000円と格安です。部屋も綺麗で気に入りました。フェリーは朝7時出発なので、6時半までには埠頭に行き、搭乗券を受け取らなければなりません。朝、5時起きでコンビニから買っておいたあんパンとメロンパンを食べ、出発です。

今回沖永良部島へは二度目ですが、二度とも曇りのち雨と言った感じで、天候は良くありませんでした。それでも、到着して迎えが来て下さるまでの間、ホテルの周りを散策しましたので、その中から数枚ここに掲載させて頂きます。天気が良ければ水が光に輝いて美しかったであろう海、道の途中で見かけた沖縄風の家屋、小林先生が8年間勤めて来られた病院とその周りで見つけたユリの花、それに交番など、写真で紹介させてもらいます。

その後は、お迎えに来て頂いて、小林家にお邪魔し、そこでエチオピアから来られていた裕美姉の弟さんご夫婦にお会いし、後に皆さんと一緒にお食事をしてきました。家に到着して、教会で日曜日に書いて頂いた寄せ書きのカードをお渡ししたのですが、文恵姉は嬉しそうにそのカードを読んでおられました。弟さんご夫婦は、岡山への引っ越しのために家の中の物を箱詰めにして忙しく働いておられました。そんな時、小林先生と一緒に助産師として働いて来られた三人の女性が様子伺いに来られたので、裕美姉の弟さんご夫婦も一緒に病院を背景にグループ指針を撮りました。ついでにご夫婦が長く足として使ってこられた車も今回はご紹介させて頂きます。

小林先生は、生涯で30000人程の子供を取り上げて来られました。その生涯は、神に与えられたその働きを十分に全うして来られたと言えるでしょう。子供を取り上げた時の先生のお顔を写真で拝見しましたが、何とも優しいまるで誕生したばかりの子のお祖父さんのようなご様子でした。なかなか離島の医療に生涯を捧げてくれる医師の少ない中、ここに命を捧げて下さった小林純郎先生を、主はきっと「お前の働きは天にて覚えられている、わが良き僕よ、安息に入れ」と語って下さったのではないでしょうか。

わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした。今や、義の冠がわたしを待っているばかりである。かの日には、公平な審判者である主が、それを授けて下さるであろう。わたしばかりではなく、主の出現を心から待ち望んでいたすべての人にも授けて下さるであろう。第二テモテ4章7-8節


教会からのカードを読む文恵姉
庭の花の向こうに病院が望める